午後遅めまで仕事をしていて、その間ずいぶん暑いなと思っていた。キャミソールに短パンというほとんど半裸みたいな格好をして扇風機をつけていたが汗が背中をつたう。私は夏の間こんなに息苦しくで仕事をしていたっけとよくよく考えて、ようやくエアコンの存在を思い出した。部屋の左上を見上げると確かにそこにある。あるが、埃が溜まっている。ルーバーを動かしてみると黴びている。掃除をすべくカバーとフィルターを外すと埃が舞った。ざっと拭いてから外したフィルターと床に落ちた汚れを吸い取るために掃除機を出し、ついでに周りも掃除して、またカバーをさっきとは違う角度から見るとさっき気づかなかった溝にはまだみっしり埃が溜まっている。掃除機に隙間ノズルをつけて吸おうとした瞬間、掃除機からはなんの音もしなくなった。私はエアコンに気づく前よりもさらに汗をかいている。とりあえず水を飲んだ。フィルターは風呂場で水洗いし、カバーは拭いて、とにかくエアコンが動くようにしなくてはならない。仕事はまだ残っているのだ。カバーをはめ込む時に、プラスチックのパーツの「爪」が一つ折れた。またか、と思う。慣れすぎていてショックが少ないくらいだ。私は動きが雑で、家電や雑貨などについているプラスチックの蓋の蝶番部分の出っ張りや蓋をカチッと閉めるための爪をすぐ割ってしまう。今エアコンを掃除するためにどかした布団乾燥機の蓋も当然取れかかっているし、血圧計のパーツをしまう部分の蓋、プリンターの大判の紙を乗せるトレーなど、私は蝶番ををゆっくりとうまく開けるのが苦手だ。蝶番が壊れた蓋はぱかっと開けることが困難になるけれど、蓋を上から押すとなんとなく嵌まりはするのを私は知っている。エアコンのカバーも角度に工夫が要ったがその爪がなくても一応閉まった。しかしエアコンは私が買ったものではなく、賃貸の部屋にもともと付いていたものなので接着剤で付けようと思ってかけらを皿に入れて台所の棚に置いた。我ながらそれを接着する気があるのかわからない。しばらくそれを見るたびに不安になるだろうと思う。こういう時、私は自分が一人暮らしでホッとする。誰かがあのかけらを毎日見ることにならなくて良かった。
作者別: オカヤイヅミ
不確定日記(大きな木/猿のほうのスカート)
■友人たちと散歩がしたくて植物園に行った。そこへ入るのは小学生以来だったけれど、入り口の芭蕉の木を憶えていた。入り口からほど近くのメタセコイアを見上げたがてっぺんがどうなっているのかはまるで見えない。地面にはもぐらの開けた穴がいくつもあり、土はふかふかしていて気持ちが良かった。ベンチでそれぞれが持ってきたパンを食べ、ちょっとだけスケッチをした。友人は蚊を恐れて、足の裏を拭くと刺されないらしい説に従って拭いていた。私は拭かなかった。園内には植物を観察している人、売店でただアイスを食べている人、親子連れなどポツポツと人がいて、子供たちは声をあげたり、草刈りや噴水の水音もしているが印象としては騒がしくない。辺りに土や木ばかりで音が反響しないせいだろうか。温室なども見ながら奥へ進むとどんどん大きな木ばかりになる。立派な樫を見つけ、それぞれが脇に立って記念写真を撮りあった。大きな木を見てはネームプレートを確かめ上を見上げ、葉の形を確かめる。想像で絵に描く概念としての「木」とはどれも全く違う。菩提樹の近くでシューベルトの「菩提樹」を歌ったつもりになったが帰って調べたら私が歌っていたのは「ます」だった。子供の頃は家に大きな木が生えていたらいいのにと思っていたが、今見ると自分が所有できるようなものではないと思える。たまに見上げに来たいと思った。広葉樹の奥が針葉樹の森で、一番端の東屋に着いたあたりで雨が降り出し、早足で出入り口まで帰る途中、草刈りの車に追い越された。友人は今度は雷を怖がっていたが大降りにはならなかった。
だいぶ前に一人でフジロックに行った際、両方の脛をダニに噛まれて酷いことになって以来、野山で足を出さないようにしているが、家に帰ってみたら出ていた両手は6箇所蚊に刺されていた。
■相変わらず晴れて暑い。梅雨はもう来ないのではないか。夜、暗くなっても温度の下がらないベランダで干していた洗濯物を取り込む時にぎゅっと懐かしくなったがそれが何かとっさにはわからなかった。昨日履いていたインド綿のスカートからする古着特有の甘さと洗剤の混じったにおいだろうか。小学生の時に、知り合いからお下がりでもらったどこかアジアの巻きスカートのことを思い出す。くたくたの木綿の巻きスカートはゴムが当たって痒くならないので好きだった。青いのと緑のがあり、両方とも線画のプリントがしてあって緑の方には猿のイラストがついていたことまではどうにか思い出した。もう一方は思い出せない。多分わたしは猿のほうが好きだったのだ。同じ時期に家にあったシンバルを叩くぜんまい入りおもちゃの猿のことも思い出す。機械の入った猿は他のぬいぐるみより硬いしシンバルは金属だから冷たかったけれど、剥げた絨毯みたいな表面の触り心地は嫌いではなかった。おどけていないシリアスな顔もよかった。スカートの猿も神様っぽくて笑ってはいなかった。昔から人と目を合わせるのが苦手なので、不特定多数にむかって笑っていないものを見ると安心する。最近もわりと猿の動画を眠る前に見る。ワオキツネザルの咀嚼音を聞くとよく眠れる気がする。ポストを見に行ったらワクチン接種のクーポン券が入っていた。
不確定日記(抜けと埋め)
抜歯痕はまだ赤黒くプルプルしているものの、安定してきた。私の歯はもともと右側が特に乱杭歯で突き出た八重歯が唇を押し上げるのでそこから息が漏れるのだが、近辺にさらに2つ余計に穴が空いたのでどうもスカスカして顔の右下がドットの抜けたモザイク画のように思える。そこからもっと崩れていくのではないかという気がして慎重に動く。台所の蛍光灯が切れたのでホームセンターまで買いに行ってついでに漬物石を見たが、今の自分が4キロの石を抱えて歩けるかどうか不安になりやめた。公園を通り抜けると「考える人」のレプリカに野球帽が被せてあり、以前そこで見た野球帽をかぶった人がいなかった。たくさんの鳩は変わらずいた。漬物石を買わなかったので食材が買える。今容易においしく食べられるものを考えるのはゲームのようで面白い。豆腐と鶏ひき肉、卵とバナナ、薄力粉を買い、帰ってから花巻を作る。粉とイーストを発酵させている間に掃除をした。始終歯の隙間のことを考えているので部屋も隙間と物、というふうに見えてきてなんとなくハンガーラックと壁の隙間を探ったら捨てるかどうか迷ってそのままにした服が出てきたので引き抜いて捨てた。手を洗って花巻の形を作る。発酵生地を触るのはとても気持ちがいい。ふつふつとふくらんだ生地の空気を優しく叩いて抜いてから綿棒で伸ばし、油を塗って巻き込んでいく。どうやら柔らかく流動的なものに飢えていたようだった。二次発酵してから蒸し上がった花巻は思ったよりふくらんでだらしない形をしており、温かく良いにおいで、立ったまま3つ食べた。一度だけ間違えて穴の部分で噛み付いて、ない歯がふかふかの生地で満たされた。買ってきた蛍光灯は間違ったサイズのものだったので、夕方になると台所は暗くなった。
不確定日記(抜歯のさみしさ)
右側の歯を上下二本抜いた。麻酔をした後はあっけないほど早く、歯科医がペンチのようなもので掴んでぐっと力を入れたと思ったらスポッと抜ける。歯というのは歯茎の骨に刺さっているだけのものなのだという感じがする。歯科医も助手も私より年上らしき女性で、落ち着いて堂々としていた。止血のためにガーゼをギュッと噛んでいる時に「持って帰る?」と訊かれたので深く頷く。「臭くなるから気が済んだらまあ…捨ててね」と言われてなんとも心許なくなる。歯列矯正をすることに決めてからずっと抜歯をすることに緊張していて、それは寂しさだったのだと持ち帰った歯を家で煮沸消毒している間に自覚した。手鍋からキッチンペーパーの上に私だったことのある不格好な二本が転げ出た。麻酔が取れてきても傷は一向に痛まず、そのことが寂しさをさらに強くするような気がした。腹が減った。歯科助手から絶対にうがいだけはしてはならない、と言い含められている。抜歯後に溜まった血液が固まって傷を保護するのだそうで、それを洗い流してはいけないのだ。うがいはもちろん、そのあたりを絶対に触ってはいけないという気がして、チーカマを左側だけにそっと差し込んで食べた。チーカマはこんな時にも便利なのだと知った。おかゆを炊いたが玄米だったので粒が残って、むしろ傷跡に落ちていくようで気が気ではなかった。顔を左側に倒してそろりそろりとスプーンを口の奥まで入れた。二週間後に今度は左側の二本を抜く。
不確定日記(開演前スケッチ)
思い立って演劇の公演を観に行った。人気の団体だけれど補助席ならばどの回でも予約可能だったのはやっぱりこういう時期だからだろうか。案内された補助席は客席両脇にあるテラス席の舞台寄りの端で、設置された椅子はないところだから電灯もなく真っ暗だった。開演までは客席の他の部分は明かりに照らされているので私は暗闇から他の席に客が座っていく様子を見渡すことができた。むこうからこちらは見えないというのが何とも落ち着く。私はチケットを買った観客だけれど、少しだけ「劇場側」になったような優越感がある。真ん中あたりの客席だとこんなに他の観客をよく見ることはできない点も、得した、と思った。舞台はもちろん少し見切れるんだけど。知り合いを見つけた人が二列後ろから肩をつついているところや、遅れてやってきた連れが上着を脱ぐ間荷物を持ってあげる人など見ていると飽きない。マスクとフェイスシールドをした係員は二人が各通路の一番前に立ち、同時に優雅なお辞儀をして、会話を控えるように、というのと、終演後は時間差退席の誘導がある、ということを知らせる札を高く掲げてゆっくりと客席の間を移動する。劇場は左右対象だから、私がいる場所と同じ暗闇が反対側にもある。何となくの黒いシルエットに勝手な親近感を覚える。落ち着きますよね、ここ。
あらかた客席が埋まってずっと流れていた陽気な音楽のボリュームが上げられる。暗転。明かりがつくともう舞台側だけの世界だ。
不確定日記(不愉快までの距離)
友人と雑談していたら、自分の体のことに気づかないタイプだね、と言われてはっとする。「靴擦れで血が出るまで歩き続ける人とかいるでしょ?」え、そうでないひともいるのか。私は家に帰って靴を脱いだら5cmくらいの水ぶくれがはじけ皮がむけて血塗れなのこそが靴擦れだと思っていた。そうなる前に痛みに繊細な人は何らかの対応する。言われてみればそうだ。私は自分の不快が本当に不快なのかどうか、しばらく吟味しないとわからないところがある。先日のめまいの時も、どの角度でめまいが起き、それはどんな感じか確かめて、オエっとなったので回るのをやめたし、偏頭痛も「まだこれは痛みとは言えないのでは。何となくだるいが。」と思って完全に痛くなるまで痛み止めを飲まないことなどもあった(これは効きが悪くなるので、予兆に気づいた時点で飲むようになったのは学習の成果)。我慢をしているのとは少し違う。吟味している間はまだ自覚がないのでそこまで不快でもないのだ。不快と認定して痛いとか眠いとか腹が立つ、と自認してからは私は我慢をしないで薬を飲むし寝るしその場から立ち去る。
今日はずっと考え事をする仕事をしていて、ただ考えていると、仕組みはよくわからないがひどく落ち込むことがあり「先日のコンビニで一度手に取った白玉ぜんざいを棚に戻す行為は良くなかったのではないか」などと今更どうしようもないことまで辛くなってきたので、明確な結果が出る作業をした方が良い気がして溜まっていた「陶器・ガラス・金属ごみ」の分類整理をはじめた。それぞれの袋に「刃物」「割れ物」「ガラス」などと赤い太マジックで書いていくとだいぶ気持ちが明確になり落ち着いた。勢いでガラス窓も拭き始めたが、しばらく掃除していないので汚れがだいぶ溜まっていたので半分で諦めた。それでも窓がきれいだと視界が少し開ける。私は周りの環境が汚れていると薄く溜まっていく自分の不満にも鈍い。
不確定日記(四分の一は甘党)
甘いもの好きですか、と言われると結構困る。大体はまあまあ好きですよとか答えるが、正確には月に7日くらいだけ甘いものがとても好きだ。買い物に行ってもアイスや大福2個や板チョコ1枚を買って帰ってはすぐに全部食べるくらい。他の23日はそういった甘味への飢餓感はなく、どっちかというとチーカマを食べている。そういうのは他にもあって、月に3日くらいだけはものすごく掃除がしたくなるし、5日間くらいは眠っても眠っても眠いが他の日は寝つきが悪い。まあホルモンバランスに操られているわけだけれど、部屋もたまに片付くし、甘いおやつもしょっぱいつまみも食べられるし、ぐっすり眠れるなら眠りたいから、自分に備わっているアラーム機能くらいに思っている。頭が痛いとかお腹が痛いとか貧血で記憶が飛ぶなどの症状については単純に煩わしいわけだけれど。
今月もスパッと甘いものが食べたくなくなったので、しょっぱいビスケットを焼いた。オリーブとローズマリーとチーズを入れたらいいにおいでおいしかった。小麦粉と油を合わせて焼くだけでビスケットができるのは不思議だ。
とうとう抜歯の予約をした。その日に抜くかどうかはわからないが、スイッチを押してしまったという気がして恐ろしい。歯科医院の電話口に出た女性は明るく気楽そうだった。緊張する予約をしたので楽しい予約もしようと思い、梅干し用の梅2kgをネットで注文した。歯の抜けた私が梅を干しているところを想像する。それはもうほとんど決まった未来だ。土用干しの晴天がちょうどいい希望になった。梅が下漬けでカビてしまった場合は歯が抜けた私がぽつんと晴天の下にいる。そういえばあるはずのサングラスが部屋のどこを探してもみつからない。
不確定日記(猫の方を見ない)
食料品を買いに行く時によく見る白猫がいる。ボサボサした老猫で、目つきは鋭いがそんなに警戒心は強くない。耳先がカットされているのでノラの経験があるのだろうが、柿の木のある一軒家のポーチによくいて家主らしき人が自動車を洗っている時に2メートルほど離れたところで眠っていたりするので今は飼われているのかもしれない。たまにしゃがんで顔を見ると怪訝な顔をされるので、いつも近くを通り過ぎるだけにしている。猫は構われるのが嫌いだけれど知らん振りをしていると近くに寄ってくる。視線を合わせると緊張するのでお互い違う方を見る。そういう存在が時々とても恋しくなる。けれど私は自然と居ついた猫としか暮らしたことがないし、猫をこちらから選ぶものではないという気がしている。
白猫は少し前、顔に大きな切り傷を負っていた。喧嘩をしたのかもしれない。子供の頃私の家にいた猫は火種に首を突っ込んではすぐ逃げるタイプだったので喧嘩の傷は後ろ足にできることが多かった。白猫は正面から闘うタイプなんだろう。ピンク色の傷は生々しくて心配になったが数週間後にまた見たら傷はもうほとんど治っていて道の真ん中で大きな体を折り曲げ腹を舐めていた。アスファルトとのコントラストで白い毛皮が柔らかく伸び縮みするのが見えた。
晴れていたが雨が少しだけ降った。暑かったのでちょうどいいくらいに思ったが、おやつが欲しくなりパン屋を見に行ったら日曜日は休みで、迂回してコンビニで冷やしぜんざいと迷って今川焼きを買っている間に大粒の天気雨になった。寒くはなかったが眼鏡が濡れて前が見辛かった。雨宿りをしている人がいて、確かにすぐに止みそうだと思ったがそのまま帰り、着替えたら新しく出したTシャツが温かかった。
不確定日記(不眠のための夢)
毎日睡眠時間を記録しているアプリには睡眠導入用の機能がついていて、雨音や環境音、静かな音楽の外に短いストーリーを英語で朗読したものが入っている。目をつぶって力を抜いて、というような導入があり、主人公は「私」。いくつかのパターンがあるが、気持ちの良い場所に行ってとてもリラックスしている描写が続く。実際は畳に敷いた布団の上でモゾモゾと眠れずにいる私は、低く落ち着いた誰ともわからない声に「あなたは明るく誰もいない小島にいるのです」と断定される。そうだったのか。島には私の他に人はいない。朝の浜辺を散歩して、足の裏に清潔な砂と波を感じる。小鳥の囀る木陰の道を通って清潔な小屋に帰り朝食を作って食べる。今日の予定は何もなく、部屋にはレコードプレーヤーと古い本が並んでいる。私はしたいことができる。遠くまで散歩し、カヌーに乗り、干渉してこない店主のいる雑貨店で雑誌と牛乳を買う。私は常に落ち着いていている、と声はいう。そういうならそうなのだろう。1日はゆっくりと続く。昼食を食べ、皿を洗い、午後には浜辺で遠くに船影を見る。カモメにパン屑をやる。声の言う「私」の小島での素晴らしい生活が進んでいくほど、私の眠れていない時間も長引いていく。だんだん不安になる。不安は、実際の私と声の言う「私」どちらのものだろう。私は小島でいつから暮らしているのか。この素晴らしい小島に他には雑貨店の店主以外の人間は誰もいないのだろうか。海の向こうの世界は、今どうなっているのか。そもそもここはどこなのだ。私はなんでこんなところで。しかし声は、島が夕刻になったことだけを伝える。テラスに座ってランプの明かりで本を読む私。空気は澄んでいて、木立の音は優しい。もう充分だ。そのはずだ。私はこんなに気持ちの良い環境で充分リラックスしたはずだ。それでは、こんなに焦ってつぶった瞼に力を入れているのは誰なんだ。そして私はいつこの島から帰れるのだろうか。ああ眠るのがおそろしい。
不確定日記(赤と赤と黄とオレンジ)
赤いローファーを履いて出かけた。伸びたままの足の小指の爪が靴の内側に引っかかるととても怖く、とっさに引っ掛かりを防ぐ動きをすると、いきなりぐにゃっと足の力が抜けた人みたいになる。この靴を履く時には爪を切っておかなければいけないのに、いつも忘れて1日に二度くらいその動きをしてしまう。赤い地下鉄と黄色い地下鉄を乗り継いで出かける。スーツを着た人が多いあたりに行くのは久しぶりだった。帰りの車内で一緒にいた編集者と話を始めたら目の前に座っていた女性が立って遠くに移動した。申し訳なく思う。帰って来てから柔らかい服に着替えたら力が抜けてしばらく眠った。
歯を抜く予約を取らねばならないのだが3日くらいぐずぐずしている。でもまあ覚悟ぐらいはさせて欲しいと思う。横になりながらよくよく思い浮かべて、起きて作った夕食の冷たい麺は、思った通りの味でおいしかったが生のニラの臭いが強かったのですぐ歯を磨いた。歯のことはやっぱり気にかかっている。気にかかっているだけなのも面倒だ。
外出して人と会い、身体的にも気分にも緩急があったからか、風呂の湯がとても気持ちよかった。風呂から上がって、小指しか塗っていなかった手の爪の残りを銀色とパールとグレーとオレンジ色に塗って、足の爪も短く切った。