不確定日記(不愉快までの距離)

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友人と雑談していたら、自分の体のことに気づかないタイプだね、と言われてはっとする。「靴擦れで血が出るまで歩き続ける人とかいるでしょ?」え、そうでないひともいるのか。私は家に帰って靴を脱いだら5cmくらいの水ぶくれがはじけ皮がむけて血塗れなのこそが靴擦れだと思っていた。そうなる前に痛みに繊細な人は何らかの対応する。言われてみればそうだ。私は自分の不快が本当に不快なのかどうか、しばらく吟味しないとわからないところがある。先日のめまいの時も、どの角度でめまいが起き、それはどんな感じか確かめて、オエっとなったので回るのをやめたし、偏頭痛も「まだこれは痛みとは言えないのでは。何となくだるいが。」と思って完全に痛くなるまで痛み止めを飲まないことなどもあった(これは効きが悪くなるので、予兆に気づいた時点で飲むようになったのは学習の成果)。我慢をしているのとは少し違う。吟味している間はまだ自覚がないのでそこまで不快でもないのだ。不快と認定して痛いとか眠いとか腹が立つ、と自認してからは私は我慢をしないで薬を飲むし寝るしその場から立ち去る。
今日はずっと考え事をする仕事をしていて、ただ考えていると、仕組みはよくわからないがひどく落ち込むことがあり「先日のコンビニで一度手に取った白玉ぜんざいを棚に戻す行為は良くなかったのではないか」などと今更どうしようもないことまで辛くなってきたので、明確な結果が出る作業をした方が良い気がして溜まっていた「陶器・ガラス・金属ごみ」の分類整理をはじめた。それぞれの袋に「刃物」「割れ物」「ガラス」などと赤い太マジックで書いていくとだいぶ気持ちが明確になり落ち着いた。勢いでガラス窓も拭き始めたが、しばらく掃除していないので汚れがだいぶ溜まっていたので半分で諦めた。それでも窓がきれいだと視界が少し開ける。私は周りの環境が汚れていると薄く溜まっていく自分の不満にも鈍い。

金属ゴミの一例