アプリで日々ので歩数を測っている。家だとスマートフォンは決まった場所に置きっぱなしなので歩数は記録されず、週に何日かのまったく外出しない日は12歩とか25歩とか、なんなら0歩の時もある。そのぶん、外出した時に歩数が多いと運動不足を少しでも巻き返せた気がしてうれしい。
最寄りの駅から我が家は徒歩7分だが、別の路線の駅からは徒歩20分かかる。今日はそちらの駅を利用した。駅前からバスも出ているので迷ったけれど、歩数を稼ぎたかったので歩いた。歩くのはそんなに苦痛ではないし、考え事にもいい。せっかくだから今度描く漫画のことでも考えながら…しかし、私はこういうときにどうにも「動機が不純」と思ってしまう。歩くことの目的は移動であるべきで、その結果の歩数でないと不自然ではないか。ただ歩数を記録するための移動は、せっかく自動車という楽で早い移動手段を発明した先人に申し訳ないのでは…?しかし健康増進は立派な動機だ。いやいや、むしろ目的がないと歩けない、という考えこそが不純ではないか。ただ歩くことを選択する自由もあるはずだ。目的地がなく、動機すらなく、ただ歩きたいから歩くのこそが純粋な歩数というものだろう。その結果の歩数が12でも11000でもそんなのはただの数字だ。そもそも歩数を測るなんて行為が下品なのだ。我々はただ歩く、そのことに注力すべきだ。無心に交互に足を出すのだ。
だいたいこの辺りで家の付近にたどりつく。今日の歩数は5086歩。やっぱりもう少し歩かないといけないように思う。