オレンジのマニキュアを左手の小指にだけ試しに塗って、そのままにしている。今日は気圧が下がったらちゃんとそのときに重く眠くなった。仕事をしつつちょくちょく横になる。トロトロ眠っていると表から雨の多さにはしゃいだ子供の声がする。川ができてる。アマゾン川。どおっ、と濁ったアマゾン が窓の外を流れる。二階だから水は入ってこないだろうか。ピラルクーとかいるだろうか。
届いた写真集を眺める。世界の民藝品の本。中東の陶器や南米のお祈りのためのもの、織物、ガラス。深く鮮やかな色がきれいだな、欲しいな、と思うが人が文化や生活の中で作り上げたものを私がひょいとつまみ上げて使うと何か物の良さが弱まってしまうのではないか、と恐ろしくも思う。
今日は音楽を聴く気にならなかった。
寝室の隅に箱に入ったままずっと置いてあった棚を組み立てる。ボードの好きな位置にフックをひっかけて自由に使える棚。いつも机のどこかにとりあえず置いているリップクリームや虫刺されの薬、取れてしまったポーズ人形の足先
などを収納する。この棚も誰かが美しいと思うだろうか。私は今のところそうでもない。
夕方、チヂミ を焼いて食べながら映画「セーラー服と機関銃」を観た。冒頭のロングショットは主人公の薬師丸ひろ子がものすごく遠いところにいてとてもさみしい。
diary
不確定日記(平らな気持ちと色)
気持ちが凪いでいる。体調も天候もいいし気分も悪くない、のに、か、だから、か、あんまり何かを考えたくなかった。そういう時に予定が入っているのはありがたい。行く先は決まっている。赤いサンダルが履きたくて、そこが薄くて疲れることもわかっていたが履いて出かけた。単純な作りだからしばらく歩くとスポッと脱げる。
美容室の最寄駅前にある大きな横断歩道が青になるのを待っていると、目一杯装飾の多い服を来た未成年らしい男子数名がなんとなく腹を殴りあったりしながらはしゃいでいる。中学校の教室の隅を思い出す。数名の男子グループ内で侮られていた同級生がグループ内で戯けたフリをし続けこちらを侮ってくることに腹を立てていた私は、当時何もしなかった。
髪の毛の色を少し明るくしたいと伝えると、一旦白髪染めをした髪の毛は明るくするのが難しいらしく「何度か染めて夏ぐらいにはちょっと明るくなりますよ」と言われる。それでも髪の毛が整うのはうれしい。達成感と美容師さんとの会話で少し気分が泡立って、その足で数件の店を回って、赤茶の眉マスカラ 、明るいオレンジ色のネイルポリッシュ、緑色メインでいろんなラメの入ったアイシャドウパレット、黄土色の口紅を買った。夕食も済ませて帰ろうかと思ったが、すでに気持ちが満ちていたのですぐに食事をする気にならず、近所まで帰って鰯などを買って帰ってからしばらく眠ってから焼いて食べた。思った通り足はひどく疲れていた。
不確定日記(黴と向き合う)
日曜日、晴れたので掃除をした。明るい昼間に掃除をしないと、薄暗さに汚れが馴染んでしまってあまりよく見えない。こういうのも鳥目の一種なのだろうか。晴れている日に見ると埃や黴の多さに驚く。雨が続いたので、街路樹の緑は濃くなり我が家の風呂の黒カビも広がる。とりあえずシャンプーや入浴剤などを風呂場の外に避け、窓を開けてマスクとメガネと手袋を装着してカビ取り剤を、と思ったらボトルにちょっとしか残っていなかったので、手袋だけ外して薬局に行って帰ってきてまた手袋をした。タイルの目地という目地、浴槽とタイルの隙間、配管の向こうなど、とにかくカビ取り剤を吹き付け、泡が消えるまで待つ。洗い流して、凸凹の多い物やプラスチックのスノコはブラシで擦る。黒いものが残っているのを発見するとまた材を噴霧。繰り返しているうちに船酔いのようになった。コーヒーを淹れたが鼻の奥にツンとした臭いが残って飲んではいけない物のような気がしてしまう。さらにまた少し掃除を続け、夕刻にはぐったりしていた。
今週は先週より雨が少ないらしいが、またすぐ梅雨に入るだろう。むくむくと広がってたくさんの腕を広げてゆく黴の胞子を想像する。私はまた容赦無くカビ取り剤を撒いては生命力になんだか負けた気がして夕方にちょっと寝るだろう。
不確定日記(諦めながら呼ぶ)
またコインランドリーに行ったので、乾く間散歩をした。40分はちょうどいい。行ってみたことのない商店街に行く。空気は湿っているが人はポツポツいる。薄暗い店をよく見ると駄菓子屋で、子供がたくさんいた。私はあそこにもう入ることはないんだなと思う。子供の頃駄菓子屋で店主以外の大人を見たことはないし居たら興醒めだったろう。安い精肉店、和菓子屋、天ぷらを売っている店、統一感のない雑貨を並べた倉庫のような店、もうやっていない、植木に埋もれたスナックなどを眺めてある程度奥まで行って折り返し戻る。買って帰ろうかなと思っていた製麺所は店頭にだれもいない。いつも通るらしい幼児が「おじさん今日はいないの?おじさんどこにいる?」と祖父らしい人に訊いている「奥にいるんじゃない。お仕事してる。」中華麺が買いたくて「すいません」と声をかけるが、私はこういう声が通らない。もうずっと通らないので半分諦めながら発声するからより通らないのだけれど。感染避けのビニールの仕切りの隙間から覗くと、奥に人の後ろ姿が見える。椅子に座っているようだが微動だにしない。「おじさん」ではないように見える。もしかすると鏡かもしれないと思う。奥のどのあたりに人がいるかわからない。しばらく覗いて再度声をかけたが、諦めて帰った。幼児と祖父はまだ同じ会話をしていた。今度来た時は買えるといいなと思う。帰宅して、インスタント袋麺を茹でた。それなりにおいしかった。
不確定日記(ぜんぶ豆)
久しぶりに夢を覚えていた。夢の中でもマットレスに寝ていたので、寝具自体は快適なのだろうと思う。
中野ブロードウェイの上階に居候する初日の夢だった。
雨の合間に散歩に出た。近年は雨の日が生暖かい。
夏が近づくと出す黄色いインド綿のロングスカートを履いていたのは失敗だった。暖かい風が強くすぐもみくちゃになる。絵具で今の私の様子を描くなら抽象的になるだろうと思った。
暗渠の遊歩道を歩く。緑が鮮やかな植栽がさらに伸びたそうにしている。直産品の店で野菜を少し買って違うルートで帰る。
ほんの少し雨が降ってきて風で横から吹き付けるので私をもみくちゃにする絵具の色が一つ増えた。
住宅街はそれぞれの庭木の葉や花が濡れた地面に落ちて張り付いている。木製のベランダを深緑のペンキで塗ってあるのと表通りから少し入って入り口まで飛び石のある小道がある家が好きだなと思う。家の前をほうきで掃いている人がいて、乾いてからにすればいいのにと思うが、この先いつ晴れるのかはわからない。地面に張り付いた長細いものを通りすがりに見たら、葉ではなく全て薄い鞘に入った豆だった。鞘の中の大量の薄い豆を思うと気が遠くなった。ずっと黄色いスカートを手で押さえていた。
帰りに近所の立ち飲みチェーン店がいつの間にか店頭で鮮魚を売るようになっていることに気付いてかつおの半身を500円で買った。帰宅後しばらくしてから外にバタバタバタ、と強い雨が降った。
不確定日記(質感過多)
口内炎の薬は青白くて、唾や飲み物で流れないようにだろうか、質感はだいぶんもったりしている。白いクレーター状になったできものに蓋のようにかぶせるのだが、ねばって口内の他の場所にもついてしまうと歯茎や唇を張りあわせる糊のようになる。風呂に入るのには口を開ける必要がないのでそのまま入浴した。肌が荒れているので買ってあったクレイパックもしてみる。針葉樹のにおいがして気持ち良い。滑らかな泥の質感を顔の表面側に塗り広げる。閉じた口の中のネトネトぺたぺたと顔面のスルスルのどちらを感じていいのか、入ってくる情報が多くてよくわからない。しかも口内炎の薬は甘い。少し乾いて固まった泥をお湯で流すのと同時に口の中のものも吐き出した。
不確定日記(ビタミンをとにかく)
眠る前から口内炎が気になっていたのでとにかくビタミンを摂りたくなって起きてスムージーを作った。小松菜、バナナ、キウイ、河内晩柑、プレーンヨーグルトをハンドミキサーで潰す。砂糖も蜂蜜も入れなかったが思ったよりだいぶ甘味が強かった。オレンジの絵の下に「orange」と書かれた台湾のグラスに注いだら量はちょうどよかったが緑とオレンジでだいぶ派手な見た目になった。口内炎がどうかはわからないが、便通にはすぐ効いた。
液体ばっかり、と思いながらコーヒーを淹れていたら漫画の編集者から打ち合わせの電話がかかってきたので、正直にコーヒーを淹れていますが聞いていますと言ったらその間雑談をしていてくれた。
液体だけだとやはり夕食を待たずに腹が減ったので冷凍庫にあった霜がたくさんついた餃子をスープで煮て食べる。腹は壊さなかった。
仕事をしたが変な時間に1時間眠って起きてまた絵を描いた。友人たちとビデオ通話をしながら仕事をし、中断してあさりのリゾットを作って食べる。リゾットはスープを足しながら煮るので鍋の前から離れられないから炊き込みご飯よりめんどうくさい。作りはじめてからいつも気付く。ビタミンはまだ足りない気がしたので八朔を入れたコールスローも作る。緑とオレンジと黄色。天気が重苦しいからビタミンはより鮮やかに見えた。ついでにビタミンの錠剤でダメ押しをした。
不確定日記(あれらは初めて外に出た)
どうやら梅雨入りが近いらしい。初夏はよいものなので短いのが悲しい。洗濯物を乾かすためにコインランドリーに行って乾燥機を回している間に食料品を買いに行く。雨はほんの少し降っていた。大荷物になるから重いものを買うのは止そうと思ったがキャベツが1玉89円だったので逡巡し半玉で58円のにしたが、そら豆やらバナナやら買ってエコバッグはそこそこ膨れた。谷中生姜の葉も突き出た。乾燥は40分に設定したのでまだ時間はある。なるべくぴったり機械がとまるタイミングで戻りたいのでパン屋に行ったが休みだった。前に少し通って長く放置し去年退会したスポーツクラブ も閉まっていた。手持ち無沙汰でさっきとは別のスーパーマーケットに行ってヨーグルトを一つだけ買った。
コインランドリーに戻るとあと4分ほどで乾燥が終わるところで、まあまあちょうど良い具合。他の客もいなくてなんとなく安心した。どうも他人に洗濯物を見られるのが気恥ずかしい。インターネットのない時代の小説や映画では皆が頻繁に突然家を訪ねたり、それでやってきた人を泊めたり留守番を頼んだりするが、今いきなりプライベートな場所を見られるのはびっくりする。一日くらい心構えをすれば受け入れられるのだけれど。乾燥が終わった洗濯物を畳む。家で使っているバスタオルをいつもと違う明かりの下で見ると、汚れやほつれがやけに目立ってびっくりする。そういえばこのバスタオルを家じゃないところに持ってきたのは初めてだ。普段外に着て出ているパーカーやTシャツについては見え方は特に変わらない。急いで畳んで袋に詰めた。パーカーや厚めのワンピースのポケットがまだ乾き切っていなかったが面倒なのでそのまま持ち帰ってハンガーにかけて部屋に干したが5時間経っても乾ききっていない。毎年のことなのに梅雨が怖い。
夕食は谷中生姜と茗荷の豚バラ巻き、山芋グリル、あさりの酒蒸し、缶ビール1本。
不確定日記(湿気の厚さ)
曇天というよりは鈍天という感じ。湿気が多くて生暖かい。嫌いではないがどうしたって活動的にはなれない。家にいる間はほとんどBBCのブラウン神父シリーズのドラマを流している。ミステリーだから爽やかな話ではないがイギリスの田舎の緑は美しい。めまいは早く起きた日の方が少ない気がする。薬を飲むと眠くなるが調べたらそんな副作用はないようだ。薬の名前で検索すると、効く仕組みはわからないが今まで効いたから処方するタイプの薬らしい。でもまあ私は大抵の物の仕組みをしらない。たまに知ったら感心するだけだ。
地下鉄には湿気が似合うがもともとあるから増えなくてもいい。車内ではマスクから鼻を出している人の気持ちや理由を考えながら立っていた。乗り継いで池袋に行き、用事の前にコメダ珈琲で仕事をする。アイスコーヒーの「たっぷり」を選んでしまったので作業の隙をみてはガブガブ飲み込んだ。仕事はだいぶ進んだので、西武デパートの屋上でミートパイを食べる。雨が降ったり止んだりなので人は少ない。パイは紙に包まれていたので油断してニットに盛大に肉汁をこぼしたので手を消毒するために持っているアルコールで拭いた。
帰宅したら部屋のドアにガガンボがとまっていて、鍵を開けると私と一緒にふんわりと部屋に入ってきた。ガガンボのことは毎年招き入れている。彼らに部屋に入るメリットがあるのかどうかは知らない。買ってきたいなり寿司と細巻きのセットを食べた。いなり寿司は買うと大体甘すぎる。久々に食べたかっぱ巻きがおいしかった。
不確定日記(耳にはなにもない)
めまいのことを面白がってSNSに書いたら心配した人たちから連絡が来てしまった。一人暮らしだから、家でひっそり具合悪くならないように全部書くようにしているところもあり、ありがたいが申し訳ない。たいしたことないよ、と言いたいので病院に行った。
耳鼻科は混んでいた。待っている患者たちは緑色のビニールソファにそれぞれ一人分ぐらいずつ隙間を開けて座っているが、そこは「空き」だ、という不文律がこの一年でできている。スマートフォンに入れてあった『女の園の星』を読みながら待つ。座っている半分くらいは幼児と保護者だから待ち時間の半分弱は嫌がって泣く声が聞こえる。診察室から出てきた親子はそのまま窓辺に向かい、無言でしばらく眺めていた。私も耳鼻科の銀色で長いのや円錐の何かが怖かった。今そんなに怖くないのはあれらを自ら差し込まれに行っているからだろうか。耳鼻科医はマスク、ゴーグル、ヘアキャップ、手袋をつけている。めまいのことを言って平衡感覚に問題がないことを確認される。目をつぶって手を伸ばし、舌を左右に動かし、医師の青い手袋が揺れるのを真似て手を動かす(心中で「きらきら」と思う)。特定の方向を向くとめまいと同時に目が揺れる「眼振」を起こすテストをする。瓶底のさらに分厚いようなゴーグルをかけ、看護師と医師に支えられながら首の向きを変えて寝たり起き上がったりするが、何も起きなかった。こういうのはやっぱり少しがっかりする。とても良いことだが、本当にたいしたことはなかった。自分の眼球が揺れるのを少しだけ見てみたかった。そのあと聴覚の検査もする。小窓の向こうにいる人に聞こえた音の方角を指で示しながら聞こえている間はボタンを押す。自信がない時はできるだけそういう顔をしてみたがマスクもしているので伝わりづらいし伝わったとして検査技師も困っただろう。
まだ少し残っているめまい用の薬を処方され、診察料を払おうとしたら小銭をかき集めてみても百円足りなかったので恐縮しながらお金を下ろしに行った。手持ちがないというのが恥ずかしく、コンビニでいつもより多めに引き出した。